あれから「33年」が経ちましたが、私にとって全く風化しない、大惨事。

それは、ご覧下さる皆様も、お分かりでしょう。

「日本航空123便墜落事故」です。

1985年、本日の12日に起こりました。

当時の私は、高校一年生。
夏休み、真っ只中。
日々、夜の10時まで、那覇は、国際通りにあります。
ファーストフード店にて、アルバイトをしておりました。

私のアルバイトをする道向かい側には。
最新のニュースを流す。
電光掲示板のあるデパートがありました。

その最新のニュース速報にて。
第一報が発表された際に。

私達、従業員は勿論。
店内にいらしたお客様も、ザワザワしはじめ。
さらには、持ち帰り用の窓口から眺めると。
国際通りを歩く、多くの多くの人達が。
立ち止まり。

掲示板に流れるニュース速報、そして続報を見守る状態が…

強烈な不安を感じた事を。
今でも鮮明に思い出されます。

私の中では、33年が過ぎた。
ではなく。
昨日、いいえ、今日にも起こったかの様に。
世界最大の航空機事故として。
風化されず記憶されているのです。

私も、こうして歳を重ねてくると。
物事の受け取り方や、物事のとらえ方が変わってきます。

搭乗者の皆様は。
大きな絶望感や悲しみ。
何よりも、その様な中で。
大切な家族、友人。愛する人、、、
様々な人を想い、天に召されたのでしょう。

そして。
操縦士、副操縦士の方をはじめ。
客室乗務員の皆さんは。
仕事を懸命、完全に全うし、乗客の皆さんを。
「救う」
という責任を、まさに命をかけ。
限界を越える努力をなさった事でしょう。

目頭が熱くなりますし、涙がこぼれます。

心より、黙祷し。

のこされた御遺族の皆様には。
少し、少しでも、心に、ともしびを。
と、祈らずにはいられません。

空の安全を願います。